66年目

 広島に原爆が投下されて66年目の夏…

 朝から平和公園では祈りの人たちが参拝されていることがテレビで報道されていました。

 私は、ちょうど8:15分に駐車場に着き、車内で黙祷しました。

 戦争の悲惨さを伝える「語り部」が高齢者となった今、どのように平和を世界に伝えるかが年代を超えた日本の役割ではなかろうか…

 などと思いつつ、のど元すぎればではなく、いつも意識しておくことは、たいせつではなかろうか?
 
 平和を知ることは、戦争の悲惨さを知ることでもあると思われます。社会科講師として、ただ、受験指導をするだけではなく、そうした人々の気持ちを常に考えておくことの必要性を感じています。(祈)